集中内観を終えて

 ふうや内観研修所を訪れた契機は、20年来の過食症の克服、身勝手で卑怯なこの性格の改善、家族関係の修復です。私は自分を好きだ、という気持ちを抱いたことはなく、また他者からの思いやりや評価に対しても、嘘で受け入れることは到底できないという姿勢でした。このように、自らの体を傷つけ、他者を裏切りないがしろにし、物を粗末にする、非常に自分中心の誤った人生をリセットできるならして、それまでの全ての事、関わって下さった方に償うべきだと考えたのです。

 私の個性というか、アイデンティティのほぼ全てが摂食障害をもつ自分でしたので、それを修復することが全ての改善につながる気がしていました。動機も自分のことが一番で身勝手であり、申し訳なく思います。

 初め1、2日は、内観の知識はある程度わかっていましたが、実践となると思うようにいかず苦戦しました。母のことを考えていくのですが、幼少期を振り返る作業はいろいろ楽しい思い出が蘇ってうれしい気持ち、ノスタルジックな気持ちになりました。それと共に、私がいかに母からの真っすぐな愛を歪んだレンズを通して屈折させて自分にマイナスに取り込んでいたかが露わになり、とんでもない過ちを犯していた自分にぞっとしました。自分は兄弟ほど思われていないとか、いつ怒られるかもしれないという見えない恐怖、勝手な思い込みで自分をいっぱいにし、そこからあらゆる人との人間関係を築いてきたのです。つまり、母や周囲の方の愛情を歪めて取り込み、そんなふうにしか思ってくれない相手を攻め、受け入れないという拒絶の姿勢を自分の基にしてしまったのです。大きな間違いであります。そのようにして間違った思い込みにより自己の評価を下げ、間違った解釈をすることが、他者からの何気ない一言からの身体、容姿の評価と必要以上にからまり、結果摂食障害を発症しました。自分は太っている、と何気ない一言を自分の全てへの評価とマイナスにとらえ、太っている自分は何の価値もない醜い存在だと思い続けていました。

 つまり、母親から始まった私の周囲との関わり、他者からの愛情を、自分が勝手に勘違いして、私は愛されない、ないがしろにされている、何か注意されると、恐ろしい、嫌われているのでは?といったように捉えたことが全て誤りでした。以来自分を大事にしないし、もちろん他人の思いを汲むことはできず、人のものや心を盗み、最愛の人を残酷に扱いました。取り返しのつかないことです。

 3、4日続くと内観になれてきてスムーズにできるようになりましたが、心に留まったヘドロのようなものが見え辛い作業でした。しかしこれを涙と共に浄化してしまわなければ心はきれいにならないと思いました。特に、嘘と盗み、自分の本質にせまる内観は避けられませんでした。しかしそれが終わると不思議と晴れがましい気持ち、風が抜けるような心持がうまれました。嫌なところしか見ていないし、言ってないにも関わらず。

 身近な人達、嘘と盗みと一通り内観した後、最後に自分のカラダに対する自分のココロを内観しました。

 ココロが偶然、母から生まれた赤子に宿っただけ、カラダはこの世での借り物にすぎず、私であるけれども、私のものではないから粗末に扱ってはならないと悟りました。ましてや他者に対してはなおさらのことであります。

 自分のカラダに対して内観することで、カラダがとても尊く愛おしい存在に思いました。と同時に、カラダがなければ他者の愛に触れることもできず、好きなこともできない等、いろいろ思いが芽生え、大切にしなくてはと改めました。今まで考えもしなかったことです。自身が自身を内観するという、一見不思議な作業により自分の大切さを感じ、このような自分に愛をくれる全ての人、もの、事象に感謝する気持ちの大切さ、尊さ、必要さを見出すことができました。

 人生のうち一週間という期間は点のようなものですが、この一週間を通じて私はものすごく変わることができました。体験したことがありません。初心忘れるべからずという格言がありますが、もっともっと奥深い境地にいます。有難いことです。

 一週間、一時間ごとに面接に来て下さった橋本様、心温まるごはんを作って下さったお母様(この食事を吐きたいと思った瞬間は真卓ありませんでした。)本当に心からありがとうございます。

 帰ってからは関わった方々にまず謝罪、感謝の念を示し、心を入れ替え、家族や周囲の方々、全てのもの、事に感謝しながら生きていきます。内観を人生の大切なこととして、内観そのものに感謝していきます。

 すみませんでした。ありがとうございます。

*内観体験記は、ご本人にホームページでの掲載をご了解いただき、ある程度年数が経ったものです。未成年の方には保護者にもご了解をいただいております。内容は匿名性を保てるようにプライベートな部分は修正させていただいておりますのでご了承下さい。