内観とは、吉本伊信が師の駒谷諦信と作り上げた、自分を観察する方法です。
誰でも出来るように、内観三項目(①してもらったこと②して返したこと③迷惑をかけたこと)に添って、小学校低学年から現在までの周囲の方に対する自分を、順番に考える非常にシンプルな方法です。
まず、自分が周囲の方に「してもらったこと」はどのようなことがあったのかを考えます。
それに対して、自分が相手に「お返ししたこと」は何だったのかを考えます。
最後に、自分が相手に「迷惑をかけたこと」は何だったのかを考えます。
これで3つのバランスが分かるわけです。
特に母親から自分がしてもらったことは、本当にたくさんあることに驚きます。それに対して、自分が母親にお返ししたことがあまりにも少ないことにも驚きます。バランスが釣り合いません。そして母親に対して申し訳ない、悪いなあという気持ちが生まれてきます。
母親を例に取りましたが、これは母親に限ったことではなく日常で関わりのある方に対しても同じことです。
誰かにしてもらったことが分かると、やはり返したい気持ちになります。そのため、これまでは自分の「何か」と考えていなかったことを引き受けようとします。
内観を受けた後に、「誰のものでもないことを出来るようになった」と語る方がおられますが、これがまさにそうです。してもらったことに対して、お返しをしようすることは、思った以上に自分のエネルギーを生み出します。それにより、具体的に自分の「何か」を考えると、自分で背負っていけるわけです。
このように、内観は「親だから」「子どもだから」「こうあるべきだ」という道徳的なものではなく、周囲の重要な方との関係を、内観3項目という3つのバランスシートを通して、具体的に考察する実際的な方法です。
考えてみると、してもらったことは偶然に行われるものではありません。誰かが「何か」を引き受けて、誰かのためにしてあげるわけです。
これは親子関係でも、友人関係でも、職場関係でも変わりません。当たり前と見るのではなく、自分に対するしてもらったことであると受け止めることが、お返しする力となり、「何か」を自ら引き受け、背負える人間になっていきます。
内観により「他責的な考えが自責的になった」と言われますが、これは自分を責めるのではなく、「何か」を自分が背負えるようになったわけです。
ここでの「何か」とは「全体責任」「自己責任」という漠然としたものではなく、より直接的な周囲の方との関係を考えることにより、自分で見つけた具体的な「何か」です。
この「何か」を自分が背負えるようになっていきます。内観とは、自分に対する「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」を考えることにより、「何か」に気づき、「何か」を自分で背負えるようになっていく方法と言えるかと思います。
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