内観は朝日新聞の天声人語にも紹介されています
友人の家で家族に面倒な問題が起きた。友人は苦しんだ。解決できぬ自分自身にも悩んだ。中年の彼は、意を決して、ある療法を家族に受けさせた。そして、全く同じ療法を自分も受けた。
▼療法といっても、実は修養法だ。周囲をついたてで囲んだ、半畳の空間。そこに座り、三つの命題について考える。これまでに母親から何をしてもらったか、母親にどんな迷惑をかけたか、母親にどんなお返しをしたか、幼児のころからの出来事を事細かに思い出す。
▼差し入れの食事。朝六時から夜九時まで、一週間をひたすら思い出す作業に過ごす。小学校一年生の時、二年の時と、必死で考える。忘れていたさまざまなことがいもづる式に思い出され、驚いたという。二時間ごとに指導者が来て「お調べになったことは」と内容をたずねる。
▼ひと通り母親との記憶をたどった後は、父親について同じ事をする。実は彼は精神科医である。一週間、寝かせたままにして世の中の不安と対決させる、という療法の指導をしたこともある。自分が修行を試みるのは初めてのことだった。
▼集中的に回顧するうち「自分がいろいろな人に支えられて生きていることが実感されてくる」。たいしたことはない男、と考えていた父親が、いかに多くの配慮をしてくれて、それで今日の自分が存在しているのかも見えてきた、という。
▼他人のことも思い出した。あの人にお礼の、あるいはおわびのあいさつに行かなければ、といった心境になった。静かな、一週間後、友人は心の平静さをとりもどし「感謝と積極的な気持ちを味わった」。この方法は「内観」とよばれるそうだ。
▼個人ではなく、国や民族にも「内観」が必要なときがある。だれに世話になったのか、だれに迷惑をかけたか…。古い枠組みが壊れた現在、未来に備えて、世界中が「内観」の季節を迎えている。