内観をするきっかけとなったのは、母が内観というものがある、という事を知ったからだ。まず体験という事で一日内観をすることになった。

  内観をしてみて最初はきつかった。視野が一気に狭くなり、余り動くこともない。勉強している時は目に何かしら入ってくるからまだ良い。内観は回りの情報を全てさえぎり、日常とは異なる状況で自分の過去を探る。内観も嫌になり、ベランダに行った。そして面接の時、思いだしたわずかな記憶をしゃべっただけだった。それで一日内観は終わった。

 その後、今度は集中内観をやった。一日目は一日内観と同じ結果に。

 しかし、二日目に変化が生じた。午前の段階で動きたくなくなり、午後には、内観をしたくなった。しかし、都合上四日の内観。後二日だけだった。

 三日目、この日が一番落ち着いてできた。三才~十才までの八年間だから、すぐにサイクルが回ってくる。すぐなのに、その度に、リアル度が高くなった気がした。

 四日目、久しぶりに家族に会える気がして、落ち着かなかった。そして内観が終わって帰る時、これを書いている。また来たいと思っている。

 内観の力はすごいものがある。ヤクザの親分が内観をして、極悪非道の世界から足を洗ったり、不登校の子がだれに止められても行く、といったり、精神的病気が治ったりする。

 受験を志す僕にとってこの内観は大きな意味を持つ。何故志したか、なぜ親に無理だ、と言われても続けるか。なぜわざわざ最難関と言われる所を目指すか。そしてその先に目指すものは何か。当所の考えと変わって、単なるカッコつけのためだろうか。またそれで気付かない所で誰をどのように大変な思いをさせているか。そのことを探し当てて行きたい。

 (日常内観を)やる所は登下校の電車の中。行き帰りが一時間ずつあるので、じっくり調べたい。

 まず母。そして父。父方の祖父母。次の母方の祖父母。弟。先生、友人、嘘と盗み。この順に調べて、帰って来て内観ノートにまとめる。土日は風呂の中で調べて、ノートにまとめる。これを繰り返せば善悪の天秤にかければ、悪に傾く俺か、善意傾く僕になっているだろう。そうすれば生きがいも見えて、例えホームレスでも明るい生活が送れると確信している。

 最後に(内観を始められた)吉本先生に感謝します。

*内観体験記は、ご本人にホームページでの掲載をご了解いただき、ある程度年数が経ったものです。内容は匿名性を保てるようにプライベートな部分は修正させていただいておりますのでご了承下さい。