内観研修を終えて
配偶者との関係に問題が起こったことをきっかけにして、内観にきました。自分の中でとても煮詰まった状態で出口がみつからず、苦しく、何か気持ちを変えたい、変わりたいと救いを求めるような感じでした。
一週間、ずっと根をつめて取り組んだかというと、全然そうではありませんでした。考えるという作業自体がつらく、思い出せないばかりのときが特に苦痛でした。父母に対して、自分が何もしてこなかったので、楽しく思い出せることもあまりありませんでした。とくに2回目あたりがそうでした。
そんな中で今振り返って残っているのは、たくさんのことをしていただいたということで、それがわかって幸せな気持ちです。
母に対しては、愛が重荷で逆恨みしているようなところがありましたが、私の被害妄想であったと思いました。母はただただ愛情を注いでくれて、何も強いてはおらず、私は自分ができないことをすべて母のせいにして、文句を言ってきたのだと思いました。3回目に幼少期のことがありありと思い出され、他愛もないことがたくさん浮かんできて、母が私を生んでくれたときの背負ってきたものと、喜びを感じられた気がしてとても有難いと思いました。そして、ずっと寄り添ってくれてきた気配のようなものを感じました。
父に対しては、していただいたことはおろか、そこに気持ちがあるということすら、今まであまり考えたことがありませんでした。見えないところで、ずっと頑張ってきてくれて、それを誇示することもなく、私は愚かにそのことに気がつきませんでした。私が目に見えて父を踏みにじったときの父の悔しさがわかります。
内観してなお自分の中にあり続けている甘えを強く感じます。内観への取り組み自体にしてもそのまま出ています。甘さと逃げと言い訳がここにあるのを感じています。すこしずつ向き合っていきたいと思います。
内観で気づけたことは、これまで口では言っていたことも多かったです。また、人に言われ続けたことも。聞きたくないから「はいはい」と分かったフリをして流していたのだと思います。「確かにそうだ」という実感をもって自分の中におちてきたような心持ちです。これまで逃げ続け、甘え続けたことが今の自分を作っており、自分に起こる好ましくないと思ったことも当然だと思います。
それでも、私はとても恵まれています。何も嘆くようなことはなく、たくさんの愛と気持ちとしていただいていることに包まれています。自分にできることは何かを考えて、真面目に生きていきたいと思います。
たくさんの人に迷惑をかけて、どん底(と自分では思いました)に落ちました。そうして、この度いろんなことが重なって内観できたことは、とても幸運なことでした。
最後に、橋本所長に感謝いたします。ありがとうございました。大変お世話になりました。また、研修所のごはんがとても美味しかったです。起床、お掃除、風呂に、ただ当たり前に過ごすこと、開けたら閉める、快適に過ごすというようなことも私はゾンザイにしていました。貴重な経験となりました。ありがとうございました。
*内観体験記は、ご本人にホームページでの掲載をご了解いただき、ある程度年数が経ったものです。未成年の方には保護者にもご了解をいただいております。内容は匿名性を保てるようにプライベートな部分は修正させていただいておりますのでご了承下さい。