ふうや内観研修所の紹介

大阪の淡路にある小さな内観研修所です

ようこそ!ふうや内観研修所のホームページにお越しいただきまして、ありがとうございます!

ふうや内観研修所は、淡路島ではなく、大阪市内にある「淡路」という場所にあります。
「淡路」の由来は一説によると、菅原道真公に縁があると言われています。
京都から大宰府に流刑になる際、淀川を下った時に大きな中州で一休みしたそうです。
あまりにも大きい中州で「ここは淡路島か?」と言われたのがご縁で、淡路になったそうです。

それから「ふうや」とは「風家」のことであり、「風が通る家」という意味がある建物です。
当研修所が立つ前、同地は私の実家であるお風呂屋さんがありました。
つまり、「ふろや」から「ふうや」です。
「ふろや」は身体を洗う「場」ですが、「ふうや」は身体と心を洗う「場」がメインになります。

皆様のお越しを心よりお待ちしております!

私(所長)の内観体験

私(所長)が内観を初めて知ったのは、今から約10年前になります。
北海道にある町の公務員だった私は、休日に札幌にある古本屋さんで、内観の創始者である吉本伊信先生の『内観への招待』という本を読みました。
「内観とは自分の母、父に対する自分を調べる」という内容に、何故か引っ掛かりを感じました。

その後、大阪に戻り、2005年8月、内観研修所にて、一週間の集中内観を受けました。
内観研修所は、真夏のセミの鳴き声が木霊する静かな場所でした。
初日の夜は内観に集中が出来ずに、不安や焦りの気持があったように思います。
そこから、母に対する自分、父に対する自分を調べて、3日目を過ぎたぐらいから初日の気持ちは全く無くなって、自然に内観に集中出来るようになり、最終日にはとても居心地が良くなって、「あと一週間ぐらい内観を続けたい」という気持ちになりました。

面接者は丁寧に私の内観の語りを黙って聞いてくれました。
自分の中に「内観はきっと厳しい!修行だ!」という思いがあったのですが、調べ方について基本的なことを教わっただけで、特に面接者から意見はありませんでした。
自分は物を考える時には、本を読んだり、人から教わったりしながら行っていましたが、与えられたテーマを許に自分の過去の経験を材料に、考えて行くというのは初めての体験だったように思います。
一週間で約100時間、気の遠くなるような時間を一人、屏風の中で過ごすことはとても心地良かったです。「内観は答えが決まっていないのだ」と主体的に自分の経験を探すことも嬉しく思いました。

5日目の夕方、退職した職場の同僚達の顔が浮かびました。
わがままで、すぐに悲観する私を、根気強く、熱心に教え、支えて下さっていたことに気が付きました。
お世話になったことばっかりだったのに、何も返すことができずに、ご迷惑ばかりかけてしまっていた自分に気づいた時、愕然としました。
最終日に、母と父に対するものが山のように出てきたのです。
「自分が両親の立場だったら、決して育てないだろうに」。
それでも両親は私を見捨てずに育てて下さっていたのだという事実に気が付くことができました。

集中内観での一週間は、自分の心の問題に気付かせてもらった大切な時間でした。
内観により、自分の心にある問題に気づき、見つめて行くことが、今後の人生にとても意味があると教えられました。
振り返ってみると、内観が自分にとっては欠かせないものだったことが分かりました。
内観について関心を持つことは、とても大きな意味があるように思います。
なかなか内観を受けてみようと踏ん切りがつくものではないかもしれませんが、私が幸運だったのは、内観に対する自分の想いを確かめる機会が多かったことかもしれません。

北海道の古本屋で内観の本を手に取ってから10年、最初の集中内観を体験した日から7年が経ちました。
ご縁があって2010年3月から故郷の大阪にふうや内観研修所を開設し、内観者の方のお世話をさせていただくことになりました。
とても不思議なご縁になります。
まだまだ始めたばかりですが、多くの先輩方から励ましや知恵をいただき、とても充実した学びの時間をいただいております。これは私にとっての第二の内観の時間になっております。
一生に一度か二度の、貴重な内観の時間を過ごされる内観者の方に、精一杯自分を振り返る時間を持っていただければと、日々願っています。

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