内観体験記

 集中内観の初日は、自分で選んだ道とはいえ、ただ不安と疑いがあったように思います。広い部屋の中にせまい空間をつくり、そこに入った時は少し恐怖を感じました。母のことを内観していると、小さいころの自分の記憶が少しずつ顔を出しました。どこか断片的だったり、浅い記憶でしたが、思い返すことがなければ忘れていた記憶だったでしょう。ただこの時は、面接が来る、思い出さなきゃ!というような思いで、面接のための内観をしていたように思います。

 父の内観を提案された時は正直戸惑いました。私はここに来るまで、父のことを内観する事など少しも考えていなかったからです。私の中の父は、母に迷惑ばかりかける、酒くさい姿ばかりで、そんな父に内観して、上手く面接ができないと不安になりました。なので、父にしてもらったことを、何かないか、何かないかと必死に探るように内観していました。本当は世話になったことなど、たくさんあったことに気づいていましたが、気づかないふりをしていたのかもしれないと、今となっては思います。

 食事の時にテープを聞いた際、自分の内観がとても浅いように思いました。「お母さん」のテープに対し、この人はどうしてこんなに勝手なんだろうと考えていましたが、だんだんと自分と重なってきたように思え、私が母にお世話になったこと、ご迷惑をおかけしたことはもっともっとあったとようやく気づきました。そして、それらを忘れて生きてきたことが驚きで、なんで…と自分を責めました。ようやく、長いこと奥底に閉じ込めてきた部分に辿り着くことができたと思いました。そしてそこには、ただ母に謝らなければならない、自分はなんてことをしてきたのだろうとそんな罪責感がありました。一度踏み入ると、驚くぐらい昔の記憶が鮮明で、とても驚き、内観体験者が語っていたことはこのことだったのかという思いで、少しスタートラインに立てた気がしました。

 二度目の父の内観は、とても思い出しやすく、素直に入ることができたように思います。そこには私のことをたくさん思いやってくれた父がいて、そして、未だ過去に執着し、家族の中で一人だけ前に進むことのできていない自分がいることに気がつきました。ようやく、自分の中にあったわだかまりのようなものに気づいたように思い、たくさんの気持ち、感情があふれたように思います。これからの一歩の踏み出し方が少し分かった気がしました。

 嘘と盗みの内観は、本当にただただ驚きと罪責感があるばかりでした。人の目、評価ばかりを気にしていた自分、人の力で威張っていた自分、本当はただ孤独に耐えられなかった自分、そしてそれらを忘れてきた自分…とたくさんの汚いところが見えてきました。自分をいい人だと考えていたことが恐ろしくなり、急に忘れていた自分の罪が頭に入り込んできた時はたいへんな罪責感でいっぱいになりました。この内観が山場と言われましたが、その通りで、けれど自分の心をきれいにするためにも、自分のしてきたことに気づくことができて、ありがたい気持ちでした。

 それから弟、母、父と内観していきましたが、そこにはたくさんの感謝の気持ちがありました。ここに来る前に母は私に、「あんたが感謝している子なのは知っているから、行かなくてもいいと思う」と言いましたが、本当の感謝の意味を分かっていなかったり、本当に深く感謝できていなかったようにも思います。内観して出てきたことは、もちろん自分のおろかさもありましたが、家族の私を思いやる気持ちばかりで、心があたたかくなり、自然と微笑むものでした。

 この七日間、自分が生かされていることを実感する日々でした。わたしはこれから社会に出て、もっとたくさんの経験をするでしょうし、つらいことはたくさんあると思います。それに負けてしまう時もあるかもしれませんが、なんとか、頑張れそうな気がします。父や母や弟には本当にたくさんのものをもらってきたので、少しずつでも恩返しをしたいです。この家族のところに生まれてきて幸せに思います。

 私が内観するにあたりまして、集中できるようにたくさんの気を遣ってくださった内観研修所の方々には本当に感謝しています。おいしいお食事、飲み物や環境の整備、朝お湯をわかしていただいていたこと、毎時の面接など、おかげで十分な内観ができました。深く感謝いたします。ありがとうございました。

*内観体験記は、ご本人にホームページでの掲載をご了解いただき、ある程度年数が経ったものです。未成年の方には保護者にもご了解をいただいております。内容は匿名性を保てるようにプライベートな部分は修正させていただいておりますのでご了承下さい。